小倉城こくらじょう

~日本一の海城と称されるおもしろき城~

Shironav Master

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this castle

小倉城は、福岡県で唯一、伝統的な日本の城の象徴である天守閣を持つ城です。
独自の建築デザインである 「唐造り(からづくり)」と豊かな歴史を誇り、北九州市のシンボルとして親しまれています。

城郭専門家から「日本一の海城」と称される小倉城。その広大な城郭は、かつて全国で第5位の規模を誇り、西日本では姫路城に次ぐ大きさでした。特に九州では圧倒的な規模を持ち、熊本城の約2倍にも及ぶ壮大な総構えは、「呆れるほどの大きさ」と評されるほど。

この城郭は、小倉の街全体を取り囲むように設計され、そのスケール感は他の城を圧倒します。しかし、現在私たちが目にする小倉城は、かつての本丸と二ノ丸の一部にすぎません。往時の広大な城郭を思い描けば、その壮大さがいかに際立っていたかが伝わるでしょう。

小倉城は、福岡県で唯一の天守閣を持つ歴史的な名城。その天守閣は全国第6位の高さを誇り、1階の床面積は全国有数の広さを持ちます。さらに、現在全国に現存する天守閣の中では第3位の規模を誇る堂々たる姿。訪れる人々を圧倒する存在感を放っています。

この壮麗な天守閣は、徳川幕府の「九州支店」とも言える重要拠点。その格式にふさわしい規模と威厳を持ち、歴史的にも大変価値のある城郭となっています。

小倉城は、日本全国に数ある城の中でも、エンターテイメント性を重視し、訪れる方々に驚きと感動を提供することを目指しています。歴史や文化を学べる体験型展示や、個性豊かなイベントなど、他にはないユニークな魅力をお楽しみください
小倉城 -公式ホームページより引用

天守閣内部には歴代城主の事績や城下町小倉の発展など歴史的な展示がなされており、最上階からのパノラマビューを楽しむことができます。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
歴史的背景
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)小倉城(勝山城、指月城)
築城主細川忠興
築城年慶長7(1602)年
カテゴリー江戸時代 安土桃山時代 海城 
関連項目小笠原忠真 細川忠興 
遺構天守閣 庭園 石垣   
住所(所在地)福岡県北九州市小倉北区城内2−1
構造物天守閣(再建)、石垣、水堀、庭園

縄張図・鳥観図

現地案内板より
創建時には現在の北九州市中心部の大部分を網羅する規模の巨大城郭でした。

ポイント

主な遺構 :
天守閣
庭園
石垣
天守閣
再建された天守閣の特徴
再建された天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根の庇(ひさし)がなく、五階が四階よりも大きくなっているのが特徴です。創建当時は日本最大の床面積を誇りました。その後、徳川家の建てた天守閣に抜かれましたが、それでも規模は非常に大きなものでした。
小倉城 -公式ホームページより引用
庭園
北九州市立小倉城庭園は、小笠原家の別邸であった下屋敷(御遊所)跡を復元した大名庭園と、江戸時代の典型的な武家書院を再現した文化施設です。さらに、茶室や展示棟を備え、歴史や伝統文化に触れられる場所となっています。

小倉城を築いた細川家の後を継ぎ、234年間にわたって城主を務めた小笠原家は、徳川幕府の有力な大名でした。

また、小笠原家は全国の小笠原一族の総領家でもあり、「小笠原流礼法」の宗家としても知られています。礼法とは、「思いやりの心」と「もてなしの心」を大切にする、日本の伝統的な文化の一つです。

小倉城庭園では、この礼法の歴史や精神を紹介し、伝統的な生活文化を後世に伝えることを目的としています。礼法をテーマにした施設としては、日本で唯一の貴重な存在です。

また、小倉城庭園はビルに囲まれた都心にありながら、江戸時代の雰囲気を感じられる北九州市の名所です。小倉城とともに歴史を感じながら、抹茶を味わい、自然と文化の薫りに浸り、静かで落ち着いた時間を楽しむことができます。
小倉城 -公式ホームページより引用
石垣
城の石垣は切り石を使わない「野面積み(のづらづみ)」の技法で築かれ、素朴ながらも力強い風格を備えています。

歴史的背景

関門海峡に面した小倉は、陸海の交通の要衝として古くから砦や城が築かれ、多くの豪族が争いを繰り広げた歴史が残っています。小倉城の歴史は戦国時代の末期、1569年に中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種(たかはし あきたね)や毛利勝信(もうり かつのぶ)が居城し、関ヶ原の戦いで功績を挙げた細川忠興(ほそかわ ただおき)が1602年に本格的な築城を開始。完成までに約7年を要しました。

小倉城の都市計画と城下町の発展
細川忠興が築いた小倉城は、城下町全体を城郭とする壮大な都市計画のもとで建設されました。全国で五番目の規模を誇り、西日本では姫路城に匹敵する巨大な城郭でした。特に九州では群を抜く大きさで、熊本城の約2倍の規模を誇りました。
小倉の町は本州と九州を結ぶ玄関口であり、中津街道や長崎街道の起点でもありました。そのため「九州のすべての道は小倉に通じる」とも言われ、活気にあふれていました。城下町では、城の周囲に家臣の武士が住み、その外側には町人が暮らしていました。忠興は城下町の発展を目指し、各地から商人や職人を招き、商工業を保護。さらに外国貿易を奨励し、同時に祇園祭りも誕生させました。

小倉城の変遷と小笠原氏の時代
細川氏が熊本へ転封された後、1632年には細川家と姻戚関係にある播磨国明石の小笠原忠真(おがさわら ただざね)が入国。小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名の監視という特命を受けていました。この時期、小倉は九州各地へ通じる街道の起点として重要な地位を確立し、小倉城もさらに充実。城下町も発展を続けました。小笠原忠苗(おがさわら ただみつ)の時代には、城内下屋敷に泉水を持つ回遊式庭園も造られました。しかし1837年、城内で発生した火災により全焼。その2年後に再建されましたが、天守閣は再建されませんでした。

小倉城の近代史
幕末になると、小倉は長州藩を攻める拠点となりました。小倉藩と熊本藩は勇敢に戦いましたが、他の九州諸藩の兵には積極的な戦意がなく、ついに1866年、小倉城に自ら火を放ち撤退を余儀なくされました。明治10年の西南戦争では、小倉城に駐屯していた歩兵第14連隊が、乃木希典将軍に率いられて出征。その後、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれました。太平洋戦争後は米軍に接収されましたが、1957年に解除。1959年、市民の熱い要望により天守閣が再建されました。
小倉城 -公式ホームページより引用

アクセス

公共交通機関
・JR小倉駅から徒歩約15分
・JR西小倉駅から徒歩約10分
西鉄バスでも訪問可能

自家用車
・(福岡・山口方面より) 北九州都市高速 大手町ランプから車で約8分
・ (戸畑・若松方面より) 北九州都市高速 勝山ランプから車で約5分
有料駐車場あり

入城料金
一般 : 350円
2施設共通券(※1) 560円
3施設共通券(※2) 700円

中高生 : 200円
2施設共通券 320円
3施設共通券 400円

小学生 : 100円
2施設共通券 160円
3施設共通券 250円

シニア割引(※3):100円

(※1)2施設共通券:小倉城、小倉城庭園をご利用いただけます。
(※2)3施設共通券:小倉城、小倉城庭園、松本清張記念館をご利用いただけます。
(※3)シニア割引の対象は65歳以上で、北九州市・福岡市・下関市・熊本市・鹿児島市在住の方限定です。

営業時間
4月〜10月 9:00~20:00
11月〜3月 9:00~19:00

参考文献・サイト

サイト
小倉城 -公式ホームページ

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