壇ノ浦砲台だんのうらほうだい

~源平合戦最後の地に並べられた大砲~

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    1185年(寿永4年)に、源氏と平家の最後の合戦「壇之浦の戦い」が起きました。合戦の地は「早鞆の瀬戸」とも言われ、関門海峡の幅が最も狭く潮の流れが激しい場所です。
    平家の敗戦を覚悟した二位の尼は、わずか8歳の安徳天皇を抱き壇之浦の海へ入水しました。この時二位の尼が読んだ辞世の歌から「みもすそ川」という地名が生じたといわれています。
    古戦場跡を一望出来る海辺は、現在「みもすそ川公園」として整備され、海峡を行き交う船や関門橋を間近に楽しめる人気スポットとなっています。
    長州藩は攘夷戦争に備え、彦島から貼付に至る沿岸の各所に砲台を築きました。そのうち、壇ノ浦砲台跡には、当時使用された大砲のレプリカが設置されています。また当地は、源平合戦の最後をしめくくる「壇ノ浦の戦い」の地でもあり、大砲群の横には源義経と平知盛の像が向き合うように建てられています。

    【目次】
    基本情報
    縄張図・鳥観図
    ポイント
    アクセス
    参考文献・サイト

    基本情報

    城名(別名)壇ノ浦砲台
    築城主長州藩
    築城年文久3年(1863)
    カテゴリー江戸時代 
    遺構長州砲(レプリカ) 源義経 平知盛 像 関門トンネル   
    住所(所在地)山口県下関市みもすそ川町
    構造物長州砲(レプリカ)
    問い合わせ先下関市観光政策課
    電話番号083-231-1350

    ポイント

    主な遺構 :
    長州砲(レプリカ)
    源義経 平知盛 像
    関門トンネル
    長州砲(レプリカ)
    文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃しました(攘夷戦)。
    翌年8月、米英仏蘭の4か国連合艦隊17隻が報復のため下関に襲来、海峡の最も狭い所に築かれたこの砲台は前田砲台と共に重要な役割を果たしましたが、連合国の艦隊に大敗し、全ての砲台が占領・破壊されました。
    源義経 平知盛 像
    当地は、源平合戦の最後をしめくくる「壇ノ浦の戦い」の地でもあり、大砲群の横には源義経と平知盛の像が向き合うように建てられています。
    躍動感のある義経像とそれに相対する知盛像は八艘飛びの逸話から作られたものだと考えられます。
    関門トンネル
    砲台跡の近くには関門トンネル人道入口があり、徒歩で九州に渡ることができます。

    アクセス

    公共交通機関
    JR下関駅からサンデン交通新下関駅方面行きのバスで約10分
    御裳川下車

    自家用車
    中国自動車道 下関IC下車後、約10分
    みもすそ川公園の近く、関門プラザに駐車場あり

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